2019/3/23~4/30 高遠さくら祭り 高遠城址公園

長野県のイベント情報


2019/3/23~4/30 高遠さくら祭り 高遠城址公園4.2

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 2019年3月23日 ~ 2019年4月30日

長野県伊那市高遠町東高遠 高遠城址公園

お勧め時期1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

かつて馬の姿が桜の花に埋もれて隠れたという高遠藩の桜の馬場。
明治8年、荒れたままになっていた高遠城址を何とかしようと、旧藩士達が馬場の桜を城址に移植したのが公園の桜の始まりです。
高遠の桜は、タカトオコヒガンザクラで、ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みのある花を咲かせます。
園内には約1,500本もの桜があり、古くから「天下第一の桜」と称され、全国的に有名で「さくら名所100選」にも選ばれています。
樹林は「県の天然記念物」です。
満開時には公園全体が薄紅色に染まり、白いソメイヨシノとは一味違った桜を楽しめます。
見頃は4月上旬~中旬、城址公園がピンクに染まる花のシーズンには、約20万人の観光客が訪れます。

【期間】2019年3月23日公園開き~4月30日
【開園時間】8:00~17:00、最盛期は6:00~22:00(最終入場21:30)
【ライトアップ】4月5日(金) ~ 散り終わりまで、日没(およそ午後6時くらい) ~ 午後10時
【有料期間】開花宣言の翌日~桜の散り終わりまで
【入場料】大人(高校生以上)500円、小中学生250円 ※ 当日中は何回でも再入園可能
【アクセス】公共交通機関:JR飯田線 伊那市駅又は伊那北駅下車 バス25分→徒歩15分 車:中央自動車道 伊那ICから 15km 30分(諏訪ICから 31km 50分)

https://takato-inacity.jp/h31/takatoh_sakuramaturi_no_goannnai

目的ここは行っとけ,女性好み,家族向け,桜花見,食べ歩き
最寄り空港/駅伊那市駅 (約9.3km) Google Transit

口コミ

5.02 週間前

最初にツアーで来てから毎年来てます。一回目は満開で晴れていて、いきなり高遠の凄さに驚きました。二回目は早すぎて一輪咲いていただけでした。三回目はもう散り終わりで雨も降ってました。ただ単に一回目が奇跡だったんですね。これで学習して次からはツアーは止めて、開花に合わせてマイカーで行くことにしました。それが大正解でした。昼も夜も満喫して写真に収めましたよ。ここは本当に凄いです、車も人もですが。

4.02 週間前

空堀といくつかの門が残る程度で、特に遺構がしっかりあるわけではありませんが。
それでも、往時を思い起こさせる風情がありました。
桜の開花したあとに来たかったです。

5.02 週間前

コヒガンザクラは圧巻です。平日でもかなり人が多いですが、見に行く価値はあると思います。ライトアップもやってますが、日が暮れるとこの時期はまだ寒いです。

2.01 週間前

高遠城は諏訪氏一門の高遠頼継が居城としており、甲斐国守護の武田氏と同盟関係にある諏訪氏当主の頼重とは反目していた。頼継は1541年(天文10年)に甲斐守護武田晴信(信玄)に内応して諏訪攻略を援護している。頼重は武田により滅ぼされるが、諏訪の領有を巡り武田と頼継は対立し、1545年(天文14年)4月に武田勢は高遠城と藤沢頼親の福与城攻めを行い、伊那地方への進出拠点とした。

1555年(弘治元年) 武田氏は続いて小笠原氏や知久氏を撃破し、木曾氏を制圧して信濃を平定した。『甲陽軍鑑』によれば、高遠城は信濃への進出拠点として1547年(天文16年)に、足軽大将の山本勘助や譜代家老の秋山虎繁(信友)に命じて大規模な改築が行われたという。1556年(弘治2年)には秋山虎繁が城主となり、坂西氏などを伊那衆とした。

1562年(永禄5年) 、晴信の庶子で諏訪氏の娘を母とする四郎勝頼(武田勝頼)が諏訪氏を継承し、同時に高遠城主となる(『軍鑑』によれば伊那郡代に就任)。城主であった秋山は飯田城代となる。『軍鑑』によれば入城に際して改築が行われ、勝頼衆が預けられ親族衆に加えられたという。勝頼は1570年(元亀元年) に武田氏の正嫡であった義信が廃嫡される義信事件が起こると後継的立場となり、信玄により本拠の躑躅ヶ崎館に呼び戻され、高遠城主は信玄実弟の武田信廉となった。なお、勝頼の嫡子信勝の誕生と、信玄の父信虎の死去は、いずれも高遠城でのことである。

信玄後期から勝頼期にかけて武田氏は領国を接する織田・徳川氏と対立するようになり、高遠城は対織田・徳川勢力の重要な軍事拠点となる。武田氏は長篠の戦いにおける敗退を契機に領国の動揺を招き、勝頼は1581年(天正9年) に領国維持のため新府城(山梨県韮崎市中田町中條)への府中移転と同時に、異母弟の仁科盛信(信盛)に高遠城主を兼任させた。

翌1582年(天正10年)2月、勝頼は内通した木曾氏攻めを行い、盛信は大将として出陣し、副将として信濃佐久郡内山城代の小山田昌成(二代目備中守)・大学助兄弟が入っている。同年2月に織田信長は本格的な武田攻め(甲州征伐)を開始し、長男の織田信忠に5万の大軍を与えて高遠城に迫らせた。高遠城に籠もる守備兵の数は3千で、盛信は信忠の降伏勧告を退けて抗戦するが、守備隊は玉砕し、盛信や昌成・大学助兄弟らは戦死し、城は落城した。高遠城の落城により織田勢は伊那方面からも甲斐へ侵攻し、武田氏は滅亡した。

5.03 か月前

桜がすごい!敷物を敷いて出店がいっぱいで楽しい!!
毎年行ってます。私は朝8時前に現地に着くようにしてますが、少し遅くなると渋滞がすごいです。おススメは駒ヶ根市役所に車を置いて、送迎バスで行くと良いですよ。城の横まで車で行けますが、混むので手前の駐車場に置いて、歩いて行った方が桜を楽しめると思います。
敷物を敷いてゆっくりできるので、朝からいて気づいたら昼過ぎになってます。4月でも寒いので、着るものには気を付けましょう!
地元の酒蔵やそば屋さんも通り沿いにあり、そちらも楽しめますよ!