三十三間堂

京都府の観光情報


三十三間堂4.4

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お勧め時期1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

京都東部にある三十三間堂は、11の顔と無数の腕をもった像が1001体並んでいることで有名だ。この像は木造建築としては日本最長の120mの本堂に収められ、正面の柱の間隔が33あるため「三十三間堂」の名前が付けられた。お堂の中央には高さ3mの千手観音の坐像があり、両側に500体ずつの立像が並んでいる。

お寺が最初に建てられたのは1164年で、当時は124体の像が収められていた。鎌倉時代((1185-1333)に残る876体が追加されたが、数多くの彫刻家が動員され、当時の大巨匠の作品もある。1000体の立像のそれぞれが個性的な表情と衣装を身につけており、きっとあなたにそっくりな観音さまもどこかに見つかることだろう。

目的アクセス良好,シュール&クール,パワースポット,一生の記憶に残る,日本についての知識プロ向け,日本のリゾート,神社・寺,私は芸術が好きだ
最寄りの空港/駅大阪国際空港(伊丹空港) (約37.3km) Google Transit

口コミ

4.0過去 1 週間以内

有名所ですが初めて行ってきました。千手観音が本尊として1000体というのも圧巻ですが、28体の守護神が最前列にズラっと並んでいるのも珍しい光景だと思います。いつものお寺と違う風景はやはり1度は見ておかねばですね。清水寺や円山公園など、歩いて回れる距離感です。

5.0過去 1 週間以内

ひたすら長い三十三間堂、正式には蓮華王院 本堂。東向きに建てられたお堂なので拝観は午前中がお勧め(開門は8時)。正面から障子を通して日光と庭の白砂に反射した光が柔らかく堂内と千体の金箔貼りの観音像を照らし出す。

創建は平安時代末期の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)で後白河法皇が平清盛に命じて建てさせたもの。後白河院の住む離宮を寺にした法住寺殿の一部で建長元(1249)年に火災で焼失、鎌倉時代の文永3(1266)年の再建。応仁の乱・戦国時代でも失われることなく、大報恩寺本堂(千本釈迦堂)と並び京都市内でもっとも古い建造物。

ひたすら長い堂内に並ぶ千体の千手観音像立像(本尊の後ろにも一体反対向きに安置されているので1001体)は、一部が創建当時のもので火災の際に運び出され、大多数は再建復興時に慶派、円派、院派など、当時の仏師が総動員で作られた。よく見るとそれぞれの流派の様式を反映した特徴がよく分かり、また特に慶派のものは表情がそれぞれに微妙に異なり、俗に必ず自分か誰か知人に似た人がいる、と言われる。

三十三間、つまり柱の間が33あり、そのうち両脇14ずつに、千体の千手観音像の前に観音菩薩28部衆が並ぶ。中央の五間の中央に安置される本尊の千手観音菩薩坐像は運慶の息子・湛慶の作。建物とこの仏像もすべて国宝(千体観音が2018年に国宝指定)。

なお三十三間(つまり道内の柱の間が三十三・外から見ると三十五)という数は観音菩薩の三十三の変化形(三十三応現身)に基づく。中央の五間の部分は正面に向拝と縁側が設けられているが、ここは江戸時代慶安3(1650)年の増築部分。ただし後白河法皇の創建当時の堂にも向拝があったとも言われている。

裏側(西側)の柱には一本一本、南側に鉄製のカバーが付いているこれは「通し矢」と言われてこの堂の長さを使って弓矢の腕を競い合う伝統があり、矢が柱に刺さって痛むことを防ぐため。

先述の通り元は後白河院の離宮・法往寺の一部で、院の墓(法往寺御陵)は三十三間堂の正面と向かい合う形で、塔頭の法往寺の背後にある。

安土桃山時代には豊臣秀吉が建立した方広寺の広大な境内の一部になり、東南に立つ巨大な南大門は元々は方広寺の南大門として建てられたもの。江戸時代以降は東大路通り・七条通りを挟んで斜向かいに当たる妙法院門跡に帰属する。

5.04 週間前

蓮華王院が正式名称で通称の三十三間堂は母屋正面の柱間数が33有るのに由来し、創建は、長寛二年(1164)に後白河上皇の勅願で始まり、僅か15年の短期間で内部は南北約百二十メートルに及ぶ伽藍内に中央に湛慶、康円らの手による千手観音坐像(国宝)配置し、左右対称に等身大の木造千手観音立像も慶派により500体づつ立ち並ぶ、前面を守るように、二十八部衆立像、風神・雷神像(慶派の作)(修復も全て揃って再度国宝指定される)、裏側にもう一体千手観音立像が配置する。実質的には、1002体の千手観音。
現在の本堂(国宝)は大火にみまわれ文永三年(1266)の再建であり鎌倉時代の重厚な和様の代表的遺構を遺す。
豊臣秀吉が方広寺を創建した天正十四年(1586)では、支配下となって千手堂としたが、秀吉没後には方広寺とともに天台宗の妙法院の支配下に置かれてます。
桃山時代の建築で南大門、築地塀(太閤塀)も今も当時のまま現存してます。
洛陽三十三所観音霊場第十七番札所になります。
毎年一月十五日に近い日曜日に行われる『柳枝のお加持』は『楊枝浄水供』と正式に呼ばれ、浄水に柳の枝を浸してその水を信者の頭上に振りかける秘儀で頭痛に効くと伝う。
また、同日に本堂西側軒下で通し矢と言う弓の引き始めも行われ新春の風物詩として弓道の腕試しの場、現在は『三十三間堂大的全国大会』と言う名前でスポーツ行事となっています。府弓道連盟と妙法院が主催となり、袴姿の新成人男女、教士、範士の称号者が弓の腕前を競いあいます。
この日は本堂を無料解放しますので、大変多くの参拝客、観戦客が来られこみあいます。
交通アクセスは、市バス三十三間堂前停留場すぐか、京阪電車七条駅下車東へ徒歩5分です。

5.0過去 1 週間以内

国宝指定記念に2001体全てが里帰りしていて完璧な三十三間堂を満喫。湛慶作の40号、さすがにお顔が違いますな。昔は仲間外れに置かれてた風神雷神さんもみんなの仲間入り。至福の時間をいただきました。
◯寺とかと違い、駐車場料金無料(拝観者のみ40分)なのもありがたいです。

4.0過去 1 週間以内

初めての参拝です。2月11日の建国記念日なので、法螺貝の音に何が始まるのかとおもったら、ゴマキやお札を焼く儀式だそうです。大事にしてくださっていて有りがたく思いました。千体の千手観音は壮観です。心が洗われた思いでした。

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