郡上八幡城

岐阜県の観光情報


郡上八幡城4.0

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お勧め時期1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月

郡上八幡城は、郡上八幡の街並みの後ろの山上にそびえています。この城は再現
されたものですが、木造建築で再現された城の中では日本最古のものです。

城へ登るには車か徒歩で可能です。

郡上八幡城は特に秋の11月頃がお勧めです。紅葉が山を彩るからです。

目的ここは行っとけ,シニア向け,シュール&クール,スリル満点,パワースポット,友達に自慢できる,女性好み,家族向け,山登り,男性好み,神社・寺,私は芸術が好きだ,紅葉,観光名所
最寄りの空港/駅小松空港 (約87.5km) Google Transit

口コミ

5.04 週間前

続日本の100名城。自然いっぱい、郡上おどりで有名な郡上八幡のシンボル、日本最古の木造再建の天空の城です。郡上八幡の情緒たっぷりの自然と風情に溶け込んだその姿は美しいの一言で、天守からは360度絶景の郡上八幡の街並みが一望出来ます。城内は郡上八幡と城についての資料を拝見することが出来ます。山上に台数少ないですが無料駐車場有、中腹にも無料駐車場有ります。是非、風情を楽しみながら登られる事をお勧めします。入城料310円、登城印は入城券売場で頂けます。

3.0過去 1 週間以内

郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)は、岐阜県郡上市八幡町柳町にある城。城跡は岐阜県指定史跡。復元天守は郡上市指定有形文化財。また続日本100名城第141番に選ばれている。

戦国時代末期、郡上一円は篠脇城を居城とする東氏(とうし)によって支配されていた。その後、東氏は郡上八幡の町を流れる吉田川の対岸にある赤谷山に赤谷山城を構えたが、永禄2年(1559年)牛首山(後の八幡山)の上に砦を築いた遠藤盛数により滅ぼされた。その時、赤谷山城を攻撃した時に砦を築いたのが郡上八幡城の起源である。

その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため追放された。慶隆追放後、天正16年(1588年)に稲葉貞通が城主となり、郡上八幡城の大改修を行った。その内容は八幡山の麓に新たに濠を掘り、本丸に天守台を設け、塁を高くして、塀を巡らし、武庫と糧庫を増築し、鍛冶屋洞に面して大きな井戸を掘り、二の丸を増築して居館とした。この時、現在見られる近世城郭としての郡上八幡城の基礎が築かれた。

その後、関ヶ原の戦いの功によって再び慶隆が城主となり、城の改修を行った。『慶隆御一世聞書』によると、郡上八幡城は慶長6年(1601年)春から慶長8年(1603年)秋まで普請を行い「惣石垣三塀二重之矢倉松ノ丸桜ノ丸等出来」とある。5代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以後井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。廃藩置県まで郡上藩の藩庁であった。青山幸宜が藩主の際に明治維新を迎え、廃藩置県によって廃城となる。廃城の翌年の明治3年(1870年)に、石垣だけを残し、取り壊された。現在の天守は、大垣城を参考に1933年(昭和8年)模擬天守としては全国的にも珍しい木造で造られた(本天守は現存する木造再建城としては日本最古となる)。

1955年(昭和30年)8月30日に石垣などの城跡が岐阜県指定史跡に、1987年(昭和62年)9月10日に模擬天守が郡上市有形文化財に指定され、内部は歴史資料館などとして利用されている。

山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりに聳える。城自体は小規模だが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しい。作家司馬遼太郎は『街道をゆく』で「日本で最も美しい山城であり・・・」と称えている。城の入り口までは徒歩でも自動車でも行くことができ、山麓には山内一豊と妻千代の像がある。

日本100名城の選定対象となるものの、検討の結果、選定されなかった。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(141番)に選定された。

5.0過去 1 週間以内

#続100名城
城からの町並みの風景がとても最高です。郡上八幡城は怖い話が多々あり城はとても綺麗な雰囲気なのに人柱や首洗い井戸などあります。天守頂上からは町が一望できます。

4.0過去 1 週間以内

再建された天守閣ですが木造でいい雰囲気です。

4.02 週間前

岐阜にある郡上八幡城です
梅雨明けして暑かったー💦💦
坂道が急なので🚗で行かれることお勧めします
コロナの影響で人は少なかったけど🙄
郡上の街並みには結構観光されてる方いました
木立のところに🦌がいてびっくりしました‼️
可愛かったー

レビュー (0)